こんにちは。演劇教室 劇ゼミの湊です。
演劇教室を中心に講師業、脚本執筆、演劇作品の演出を仕事にしております。
前回記事で自分のことを書くと言っており、その続きになります。
内容がちょっと暗いかもです(笑)
自分が学校に行けなくなった時のことを思い出していました。
わざわざ思い出したい記憶ではないですね。
覚えてるのは、周りからしたら何もできてなかったように見えたかもしれないけれど、けっこう必死だったことです。
あるいは、何もできなくなる直前まで必死だったかもしれません。
人は年齢が上がるにつれて自由が増えてゆきます。
子どもの方は読んでて驚くかもしれませんが本当ですよ。^^
でもその自由が自分のほしい自由とは限らなかったりします。
大人は、自分の欲しい自由と、自分が持っている別に欲しくもない自由、この間で苦しむんですよね。
大人も子どもも同じで、欲しいものが欲しいままに近くにあれば辛くはならないと思います。
後、ちょっとしんどくても欲しいものが手に入りそうならがんばれます。
でも、世の中って本当意地悪でがんばれば何でも手に入るわけじゃない。
自分なりにがんばってほしいものが手に入らなければしんどくて、休みたくなってくる。
こうなった時、大人の方がちょっとだけ有利だと思います。自由があるから。
自由ってことは選びやすいってことです。
子どもの時、自分には(選べるかもしれないけど)選ぶことができなかった。
規則的についていくことでしか、ものは手に入らなかったからです。
だから学校って結局運任せだった。
気の合う友だち、歩きやすい道、得意科目、食べやすいごはん、周りからのキャラ付け…。
学校というものすごく統一された集団生活は、とにかく規則的な習慣を体で覚えるのに最適だなあ。大人になってみるとそう思います。
あるルールにのっとる=規則的ということです。
体で覚える、精神的じゃなくて肉体的な空間だったなと思います。
規則的についていくことで手に入るものが、欲しいものだった時は体全体が嬉しい。
でも、そうじゃないときは体を合わせるのに必死でした。
必死でついていこうとしてダメになったその瞬間に、全身が拒否反応を起こしてしまった。
勉強ができるかどうかって、どこかノリにノれるかだったような気がするんです。
それは、勉強をしようとしていたんじゃなくて身体のノリ、波長が合うものに、合わせていた…。
その結果が点数とか、知識とか、成績だったのかもしれません。
ただね、いつしかそれが「選べる自由」に変わっていったとき、勉強は面白くなりますよ。
あなたが「学校の勉強」に合わなくても、「色んな勉強」を選ぶことができます。それが大人の自由です。
子どもの今がつらいなら、早く大人になることを目指すのもありかもしれません。
運任せより、自由で選べる世界の方がいきやすいのかもしれません。
あ! 悪い大人もいるからそれは本当に気をつけなきゃダメだよ!
演劇教室 劇ゼミは、演劇を通して、俳優・作家・演出家・ダンサーとコミュニケーションを取ることができるのが一つ魅力だと思います。
あなたの持ち続けている思いをアーティストの人たちに聞いてもらうことができますよ。
もちろんこの記事に対してコメントくれてもOKですよ。
湊から返信をさせていただきます。
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