こんにちは
株式会社空き家総合研究所「劇ゼミ」の原(ハラ)です!
今回は、この教室を立ち上げる際のちょっとした裏話的な内容です。
『演劇を「手段」として非認知能力を高めたい!』と息を巻いていた我々が
『でもやっぱり「演劇スキル」向上も大事だよねぇ~』と考え方が変化したお話です。
当初、この教室を立ち上げようとしていたとき
社内でよく飛び交っていた言葉があります。
「演劇はあくまで手段だから」
そうなのです。
この教室は演劇を「手段」として
「非認知能力」やら「コミュニケーション能力」やらを
高めていこうという発想からスタートしているのです。
だから当然、上記のような考え方が出てくる。
また演劇の楽しさを知り過ぎてしまった我々社員が
「演劇楽しすぎるから、とにかく演劇だけ教えようぜ!」的な動きになってしまうことを
けん制する意味合いでも上の言葉は一定の機能を持っていたのだと思います。
しかし、教室の方針が決まり
いよいよ具体的なカリキュラムを作る段階になって
困ったことが出てきました。
特定のスキルを向上させる手法を論文及び書籍で勉強していた際に
あるひとりの社員がつぶやきました。
「確かに"演劇"と"この能力を向上させる手法"がマッチするのはわかった。しかし、この手法を実現させるためにはそもそも演劇的スキルがないと実現できないのではないか?」
今思えば、なぜ気づかなかったのだろうという点ですが
この会議に出ている人間は全員大学で演劇をモーレツにしていたため
その時は意外な盲点を突かれた感じがしました。
確かに
「この脚本を読んで、自分ならどのように演技するかを決める」
「演技をうまくつかめないときに、自分に何が足りていないのかを言語化できる」
などなど
私たちが当たり前にできていた行動を子どもたちにも習得してもらわないと
その手法はとうてい導入できません。
となると
①この手法はあきらめて他の手法の導入を模索する
②演劇スキルを教えるところから始める
のどちらかの選択肢となります。
そしてあの言葉が私の中でリフレインしました。
「演劇はあくまで手段だから」
・・・となれば選択肢の①を選ばざるを得ません。
その日の会議は「次回までに①の方向で考え直してみます」と宣言し
とりあえずそこで終了。
私は①を実行するため他の様々な論文に目を通し始めたのですが・・・
おっと
長くなってきたので、続きは次回に譲ることにします。
構想~カリキュラム作成までいろいろな考えの変化があったので
今夏のエピソード以外にもご紹介できればと思います。
それではありがとうございます。